「酔いどれ天使」「飢餓海峡」

小説と異なり、脚本はそれだけで完結しない。映画となるためには、キャストが必要だし、演出、撮影に監督が登場して初めて成立する。
だからどこかで自らリミッターをかけていた。しかしここの投稿書きながら、「全体としての脚本」に目覚めることができた。と、すぐに優れた脚本を無性に読みたくなった。映画は努めて観るようにしているが、読み上げた映画脚本はわずかだ。読みたい!という衝動が湧いてこなかったからだ。シナリオを求めている自分に喜び、すぐにアマゾンで脚本集を注文した。
早速昨夜、シナリオなぞりながら映画を観た。黒澤「酔いどれ天使」。いい勉強になる。しかし三船の存在感が圧倒的過ぎる。脚本の意図を溢れている。映画として統合される前の脚本家のイマージュへ接近が邪魔される。黒澤と三船のせい。映画完成へのプロセスをちょっと知りたい。

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そして「飢餓海峡」のシナリオ、食い入るように読む。脚本読むとまるで映画を観ているよう。映画のシーンが呼び起こされるということだけではない。脚本自身にぐいぐいと引き込まれる。それはやはり物語の構成、シーン割や人物造形などがとてつもなく優れているからだ。
脚本は相当に踏み込んでいる。カメラワークや音楽までト書きに書かれてある。驚いた。倉本聰の脚本などほとんど台詞だし、寅さんだってそうだ。それに、まずい脚本はト書きが多いと書かれてあるのを目にした。私はもともと心に浮かぶ具体的な映像をそのまま描写しながら小説を書き進める。だから脚本も自ずとト書きをいちいち書き留める。でないと物語が進まないからだ。ほとんど台詞の倉本聰や山田洋次の脚本とは大違いだ。監督や谷さんから作品のト書きについて指摘あるかと思いながら、意外にもそれはなかった。やっと納得した。書いていいのだ。そう思った。
今度は映像見ながらもう一度脚本をなぞりたい。

シナリオ本、もう一冊届くはず。楽しみだ。