「北ホテル」「陽は昇る」「恐怖の報酬」「地獄門」「大いなる幻影」「ゴッドファーザー」
ここ数日映画漬け。
▼「北ホテル」1938 マルセルカルネ、Jギャバン
「どん底」「巴里の屋根の下」同様下町群像劇。憎憎しいヒールは出てこない。しかし死がひどく卑近。傍らの絶望とパラレルに希望を描く。
▼「陽は昇る」1939 マルセルカルネ、Jギャバン
直情純情な労働者階級といやらしい知識人の対比が脚本では描かれたのだと思うが、Jギャバンがあまりにハンサムなため、無骨さは伝わるが「朴訥」な「単純」さ故の犯行という意味合いは退いてしまっているように見える。それにしてもまた死。
▼「恐怖の報酬」1953 アンリクルーゾー、イブモンタン
言うことない。すばらしい。脚本もすごいし、キャストも。イブモンタンの存在の「体幹」からは政治性がにじみ出る。もうここから日本の俳優も、いやそれよりも使う側作る側が、中立という名の「常に体制(現在の多数派、強い側)に立つ」姿勢を恥ずかしげもなく表明している限り足元に及ばない。
▼「地獄門」1953 衣笠貞之助、長谷川一夫
娯楽大作つまり俳優ではなくスターを披露するための映画。「スター」は自分をよく見せようとしているだけであって、物語の人格を演じようとはしていない。今の言葉で言えば「アイドル」でもいい。つまり邦画主役を演じているモデルや歌手たちはただ「カッコをつけている」だけで演技などしていない。自分をよく見せようとする動機を演技だと転倒して錯誤している。「袈裟と盛遠」という凄味のある題材なのに、物語とくにラストに必然が感じられず残念。置いてけぼり。京マチコは羅生門と雨月物語と併せてようやく俳優像が現われる。ここではただの舞踊。
▼「大いなる幻影」1937 ジャンルノワール、Jギャバン
大脱走というのはただのパクリ、剽窃だったのか。
▼「ゴッドファーザー」1972 Fコッポラ、Mブランド
映像カメラは冴えて美しいけれど、仁義なき戦いをリアル一家(ファミリ)にしてゴージャスに描いた欧米版。やはりどこがそんなにいいのかわからなかった。