自転車琵琶湖一周2019

今年もまた去年のように猛暑が続くとはつい先日まで想像もされなかった。七月下旬になっても鬱々と雨が降り続いていた。ようやく一日曇り空が持ちこたえてくれそうに思われた25日、自転車で琵琶湖一周に向かった。いわゆる「ビワイチ」である。
なんとか「ビワイチ」という呼称をひとつ観光や地域活性化につなげようと滋賀県挙げて取り組んでいるようだが、どうにも個人的には馴染めない。要は「自転車琵琶湖一周」だ。実は「ビワイチ」と喧伝されたせいで、ちょっと困った事態が起こっているのだ。

「自転車琵琶湖一周」は滋賀県民一度は体験した人が少なくない。私の娘も小六のとき保育園の同窓イベントとして琵琶湖一周を完走した。だから以前は教師など大人たちが先導する子供たちの自転車集団を夏休みなるとよく見かけたものである。ただ当時そのルートは「歩道」を走行していたのだ。実は琵琶湖一周のルート、とてもじゃないが車道は危険で走れないところが少なくない。競輪選手などトレーニングで走行している人は別だ。のろのろと集団で走る子供たちなど車道では絶対に走れない。もちろん通行を許された歩道以外、自転車が歩道を走るのは違法だ。市街地の歩道を走る自転車は危険極まりない。しかし琵琶湖周回の道路は歩行者もほとんどない。だから歩道を走るのがずっと習わしだったのだ。ところが行政挙げて宣伝するとなると歩道を自転車が走行するなどもってのほかとなる。そのため、大型トラックが猛スピードで走行する片側一車線道路を自転車が走らねばならなくなる。汗かきわいわい騒ぎながら走る子供たちの姿はすっかり消えてしまった。夏の風物詩と言ってよかったのに、残念である。行政のやることはいつもとんちんかんである。しかしもしかしたらこれこそが裏の狙いかもしれない。ならば三日月知事、いい人そうな顔して策士である。それもありうる。そういったせいで「ビワイチ」という言い方には抵抗があるのだ。「琵琶湖一周」これでいいと思う。
今回琵琶湖一周走ったのは7、8年振りではないかと思う。だからちょっと不安もあった。何しろもう63歳である。泊りがけ二日がかりで走る人も多いが、私は日帰り派だ。朝早く出て夕方には帰る。ちょうど距離は200キロだ。

初めて走ったときのことはよく覚えている。2001年だからまだ45歳だ。
その前から自転車で琵琶湖岸を走行するのは好きであった。瀬田の唐橋を北上し、琵琶湖博物館までが45分、琵琶湖大橋まで1時間15分。これが基本の目安だった。たいがいはそのあたりでUターンしていたのだが徐々に足を伸ばしてみたくなった。野洲を越え、能登川を過ぎ(当時はまだ市町村合併の前だ)、3時間かけると彦根に到達した。ルートには自転車一周のため道路脇にちょうど唐橋からの距離が書かれた標識がある。さらに行くと唐橋から50キロ地点についた。そこで折り返したのだが、距離は往復で100キロだ。これなら一日200キロも可能ではないか。そう思ったのだ。
いざ勇躍朝六時に出発した。ルートはわからないが、ともかく琵琶湖の岸にいちばん近い道をぐるりと回ればいいのではないか、そんないい加減な準備だった。琵琶湖の東側は慣れているので、知らない西岸から北上するルートだ。ともかく気持ちがいい。西岸は埋め立ての東岸と違い、平安の昔から貴族の保養地になっていたほど風光明媚である。琵琶湖の湖面がきらめき、また比良山の青々とした丘陵がとても豊かだ。遠足気分であった。気に入った箇所があれば、写真を撮りしばし憩う。なんとなく遅れ気味かなと思っていたが、何分初めての200キロなのでマラソン初心者のように途中で足が動かなくなるのではないかと心配で無理せずゆとり持って走っていた。これがいけなかった。今津に着いたとき、もう12時であった。遅すぎるのだが、そのときは分かっていない。まだ飲み物のむときはいちいち停車し一休みなどしていた。賤ケ岳を越え、高月から長浜に入りようやく彦根に着いた。もう五時をまわっていたが、夏の日差しはまだまだ強い。そして大中のファミリーマートに着いたとき午後7時となっていた。さすがにこれはやばいと焦った。陽が落ちた後、一気に夜がやってくる。うかつだった。道には「街灯」などないのである。近江八幡のあたりで真っ暗となった。人家からは遠く離れた湖岸である。走る車のヘッドライトに一瞬照らされるが、自転車のライトだけが唯一の明かりなのだ。「真っ暗」という世界を初めて体験した。目を開けているのに真っ暗なのだ。上も下も右も左もわからない。漆黒の闇である。自転車の明かりが照らすわずかな前方の道を凝視する。道の真ん中なのか、崖っぷちなのか、曲がるのか、段差があるのか、障害物があるのか、ただその明かりだけが頼りだからだ。心底恐怖した。大げさではない。守山の手前、遥か対岸に集落の明かりが見えてきたときの安堵といったらなかった。「助かった!」そう心は思わずつぶやいていた。帰宅したのはもう11時を過ぎていた。
それが初「ビワイチ」ということになる。散々であった。しかし、恐れていたほど体力的にはまったく問題はなかった。また帰宅後、悔しくてならなかった。自分の準備不足と見通しのまずさが情けなかったのだ。なんとも忸怩たる思いが込み上げ、その夜のうちにリベンジを決意し、翌日再び琵琶湖一周に挑むことにした。無謀である。しかし翌日には前日の失敗を踏まえ朝五時に出発し、見事夜七時帰宅で完走した。心奪われる景色を目にしても、決して立ち止まることなく、飲み物飲むのも走りながらだ。食事の時だけコンビニの陰でぶっかけうどんなど掻き込むがくつろいだりはしない。ともかく出発と同時に一心に「帰路を急ぐ」のである。流石に二日で400キロ走破した翌日は足がガクガクした。

以来毎年夏には一人で琵琶湖一周を走った。しかし、やがて一年おきになり、そしてその間隔が広がり、結局2010年頃に走ったのが最後となっていた。2014年頃からは川沿いの遊歩道を5キロほど走っていたが、やがてここ2年はそれもなくなった。
いつだったろう、50代の半ば頃だと思うのだが、琵琶湖一周しているときのことだ。コンビニで昼飯のために冷麺か何か買い込んだ。店内は立ち寄った若者で混雑していた。皆、エアコン効いた自動車でやって来たのだ。カジュアルで爽やかなファッションだ。僕はと言えば、汗びっしょりで疲れ切っている。半パンに安物のTシャツ姿だ。きっと汗臭いのではないか、ひるんだ。そして駐車場の隅で日陰に身を寄せ掻き込んでいた。ふと自分の姿が店舗ガラスに映っているのが見えた。ひどいな。まるでホームレスみたいだと自分で思った。50過ぎたおっさんが何やってるんだろう、と少し惨めな気分になった。琵琶湖一周走らなくなったのは、そのときのことも影響しているかもしれない。
しかし50どころではない。もう僕は63歳だ。あのときは自分がどう見えているのか、はたと気がつき嫌になったが、もう60過ぎると自分がどう見えるかなんてどうでもいい。そんなこと気にするよりも大事なことがたくさんある。何しろ残り時間が限られているのだ。どう見られるかなんて気にして、悔いを残したくないからだ。
7、8年ぶりの琵琶湖一周。体力が落ちているのではと心配したが問題はなかった。5時に出て7時半に帰宅。ちょうど以前の基本ペースと同一だった。今回のことを書きたかったのに、これまでのいきさつを書いてもうおなか一杯になった。実は以来また遊歩道の5キロランニングを走るようになった。またそのことはいつか書こう。ともかく琵琶湖一周、走れなくなるまで走ろうと思う。さて、あと何回走れるだろうか。