喜劇である悲劇

ヒロトのブルーハーツに、どんな記念日なんかよりあなたが生きている今日はなんと意味があるのだろう、と叫ぶ歌があった。LiveStandなど正月のライブでは、「記念日」を「お正月」に置き換えて「どんなお正月なんかより」と歌っていた。
正月はただ暦の上での区切りであって、その日そのものに特段の意味があるわけではない。ただ一日一日を送る私たちの側が、そこに一年の始まりを設定して日常の刷新を図ろうとしているのである。だからさすがに、正月を祝わない者は不謹慎で怪しからん、失礼な奴だ、日本人なら喜ぶべきだと奇妙な圧力を振りかざす者もない。
そして血についてである。血統についてだ。出自によってまったく不合理に差別され蔑まれる異様な血の信仰がある。血自体に貴賎が存するらしいのだ。血を以って蔑むのは、その逆に血を以って貴ぶのと同じだ。血に貴いも卑しいもない。蔑むのは良くないが、貴ぶのは人の感情として大切という了解があるが、それは違うと思う。貴ぶならそれは一切に及ばねば貴ぶとは違うのではないか。一方で蔑みの根拠となる同じ理由でもって貴ぶなら、それは廃棄されるべきである。明らかだ。その異様な血の信仰によって国の基幹に古くから蔓延っている因襲じみた奇怪な制度ならやはりまた一刻も早く廃止されるべきだろう。
話は少し変わるが、ネット界隈の不思議な現象に正直辟易している。「不謹慎」「失礼」「けしからん」これらは自分が害をこうむったわけでもないのに、言わば成り代わって憤慨憤激して人に懲罰を課そうとする態度だ。これらにはただ「お前はいつからそんなに偉くなったんだ」と一言言えばすむのだが、人を苦しめ不幸に突き落とす快楽は強烈な依存性があるらしい。悪い者間違った者を責めることが自らの正しさを証することだと本気で信じ込んでいるようなのだ。正義感を自認するこの奇怪な妄想が社会の大多数にとって常識となっているなら、その偏狭な狂乱には評する言葉もない。

恥ずかしい。何もかもが恥ずかしい。国家あげてのファシズム祝賀大行進。
冷静にその事態が教えていることを深く自省すべきなのだが、あまりの無残な様相に心乱れる。