NHK・ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実」2012
永山則夫の精神鑑定面接の100時間に及ぶ録音テープに基づく番組である。その生涯を永山の肉声を軸に辿っていく。
永山則夫についてはこれも高校時、大きな話題を呼んだ発行まもなくに読んでいる。怨念すら感じさせる肉筆の詩篇群はまだ高校生だった自分には受け止めかねた。犯行は「貧困のせいだ」と叫んでいるひどく攻撃的な姿。これが私の永山則夫についての当時の印象であり、理解であった。その後、随分経ってから小説を開いたこともあったが、これも最後まで読むことなく中途で閉じた。その印象はこの番組で大きく変わった。
番組では、永山の主観を丁寧に描いている。まさに虐待につぐ虐待の中で、その現実を彼がどのように受け止めてきたのか、視聴者に追体験させる。言葉がない。母は5歳の永山ら三人の子供を北海道に残し、青森に出奔している。永山らはゴミを漁るなどしてどうにか生き延びている。役場の力で一年後に母親のもとに送られるが、そこで永山は毎日のように兄の暴力を受ける。むごい話である。まだ学童前の幼児がみぞおちを殴られ失神するのが日課となるのだ。親はあるが、親は子供を守りも育てもしない。ひとつには貧困のせいだ。現代の貧困は溢れるモノと情報とスピードの中の貧困だが、昭和20年代地方僻地の貧困はまったく様相が異なりその貧困は生々しく荒々しく凄惨である。鑑定医は母親の子捨てを母親自身の幼児体験に結びつける。永山がそうされたように、母親自身も幼児期にその母親から遺棄されたことが母親の口から語られている。単なる経済的困窮にとどまらず、そこには人間的な交感であるとか、守り慈しみ育むとかそうした温かみは微塵もない。あるのはただ身も凍るような乾き切った荒涼たる冷酷世界だ。
こうした信じがたいほどに過酷な虐待下にあったその生育歴がもたらしたと思われる彼の精神症状について鑑定医は指摘している。それらはのちに精神医学的診断概念として確立されるPTSDにまさしく合致該当することが明らかにされる。
しかし、永山が鑑定医に自分の言葉で語ることができたのは、そうした心的外傷により阻害されていた人格の成熟と統合が拘置所での歳月で果たされた結果だと言える。本人の人格が依然打撃により混乱の渦中にあれば、本人が語ることも出来ず、また明かされることもなかったということになる。だから、永山則夫の生涯は出生後中卒までの北海道青森の時代、そして犯行に至るまでの東京横浜の時代という悲惨な日々だけでなく、それから刑死するまでの東京拘置所での服役の歳月を含めてそれら全体が永山の生涯ということになる。
番組で弁護士も述べていたが、生育環境により例えば適切な人格の成長が妨げられたとしても、それがそのまま事件につながるわけではもちろんない。事件に至るのは偶然の重なりによる。永山であれば、盗みに入った米軍基地の宿舎で拳銃を見つけ入手してしまうことが決定的な結果を導いた。こうした「偶然」の結果が人生を決定することは永山だけでなく、誰の人生も同様だ。しかし、それは「偶然」であるから無意味なわけではない。なぜ、その出来事と出会わざる得なかったのか。その出来事は私に何を呼びかけているのか。その問いは共有されるまでもなく、自身が自身において抱き続ける生きる核心であると言える。
永山処刑の朝、同房の死刑囚が叫び声を耳にしている。それが引き立てられた永山の声らしいと推測されるが、死刑執行に向かう永山がどのような様子であったかわからない。その生涯を永山自身はどのように受け止めていたのだろう。
そして「死刑」を考えれば、当然ながら、被害者のことを考慮せざる得ない。
永山がこうしてそのセンセーショナルな生涯が社会的に公にされ、様々に話題にされ、また検討されたりするが、その生涯の重みは市井のすべての人と等価である。
だから、被害者の方々もまた一人一人生まれそして生きた日々のその重みについても、ただ漠然とした印象ではなく、かけがえない具体的な生涯がそこにあったのである。その唯一の生涯に突然の終止符をもたらしたのが永山ということになる。ここで許せないと非難することはそれとして、被害者にとってはまさにその「偶然」のために生涯を終えねばならないことをどのように受け止めたらいいのか。受け止めることができるのか。被害者としての問い。「私はなぜこういう目に遭わねばならなかったのか」「なぜ私だったのか」という答えのない訴えであり叫びである。その不合理や不条理ゆえに、さらに加害者への恨み憎しみとなるのだが、その問いはそのままに残る。「なぜ私だったのか」
先日の上映会で、劇上演時に配布されたパンフを配布したのだが、そこに「私ではなくなぜあなたが」ということを私が書いていた。それは家裁勤務時代にたびたび私が抑えがたく抱いた問いである。そして今回上映会に参加された、犯罪者の社会処遇を職務とされている方から、その文言を見て涙が込み上げたとの感想をいただいた。その方も折々その想い「私ではなくなぜあなたが」が溢れるのだという。
そしてまた、永山自身がたびたび自殺を企てた動機は「なんで俺生まれてきたんだ」というつぶやきであったという。それは、「なぜこんな人生なのか」であり、「こんな家になぜ私は生まれたのか」である。「なぜ、俺が」
「なぜ私が」「なぜ私ではなくあなたが」そして「なぜ俺は」その呻きのような問いがたまらなく響く。
答えのないその問い、甲斐のない訴えを抱えるのはひどく辛いし、救いない鬱に沈みもする。その姿や声には、ただ重苦しく黙するだけである。
「生きるとはなんたるむごいことなのだ」私の一足一足が人を踏みつけ、踏みにじっていると金子光晴は書いた。それは真実だ。だからこそと思う。だからこそ。思うのである。