止揚の過酷
人によるものなのだろうか。私の場合は、という話に過ぎないのかもしれない。携えて生まれきた人生のテーマはすでに十代において明らかにされている。重ねる夥しい日々の中で周囲をめぐり逃れては引き戻され、深まろうとしては浮かび上がり、澄み切るかと思えば混濁に呑まれ、否応なく腐臭や陰惨をまとう老年にさしかかると、それがむきだしのまま鮮血にまみれていた十代の咆哮に戻らざる得ない。
それは誰かの引用文である。もともとの文章を、あるいは詩であるかもしれないが、読んだ覚えはない。どこで誰のどんな文章であったかも覚えていないがポール・バレリーの言葉として引用されていた。「悪をなせる人間として善をなせ」深く納得し心惹かれた。17歳のときだ。どのように解釈したのだろうか。ただ、善しかなせない人間が善をなしたとしてもなんの意味もなく、それは善ですらない、と理解した。善しかなせない人間というものなど存在しえないと今は当たり前にそう思うが、一般論でなく卑近な日常から理解していたのだ。例えば、学校の校則を守ることが善であれば、校則をそもそも破ることのできないのでなく、いつでも破ることのできる者が守るときこそ善である。つまり、怖れや保身や打算を動機とした結果を善とは認めがたいということだ。友人が生徒会長に立候補した際に体育館の壇上で、このバレリーの言葉を述べて応援演説した記憶がある。それほどに深い真実を有した挑発的なアジテーションと感じたのだ。これは、善と悪の対峙という主題である。
そして黒田三郎。彼は詩人である。荒地派として逆説を駆使した表現で戦後を生き延びる戦中派として深く思想をえぐりながらありふれた日常をも愛し続けた人だ。初期の表現には、繰り返し自身の深奥から響いてやまない罪意識について煩悶する詩人の言葉が綴られている。それが私の罪だろうか、それが私の罪だろうか、反復して延々と自問し、問わずにはおれない訴え。ひしがれるように磔にされてもなお、口にせずにはおれない訴え。戦地においてその手で殺し凌辱し破壊したあまたの神兵たちが、同じく従っても勝てば栄光負ければ断罪の定めのまま、荒れ果てた祖国に戻って目にしたのは悔恨と慙愧にまみれたさらなる混沌であった。口にはできない引き裂かれた自我の嘔吐。やがて平穏や日常を勝ち取るほどに、内奥で響く声。それが私の罪だろうか、それが私の罪だろうか。抗弁ではない。釈明でも否認でもない。それがまぎれない罪であることはじめから明解なのだ。だからこそ振り払えず心にまとわりつくその呪文。言葉にならない声でうなされ続けた。そして彼は、人を思うことで言葉を記すのである。「人生は過失である/戦い敗れた故国の美しい山河に/生き残り/罌粟の花よりも散りやすいひとよ/あなたはなお/あなたの過失を愛する勇気を失わないだろうか」その一行「あなたの過失(あやまち)を愛する勇気」一羽の蝶のようにやすやすと罪意識の蜘蛛の巣に縛り上げられていたからこそのまさに福音だ。「過失を愛する勇気」ここからがようやくの歩み出しなのである。罪と許し。
小学校のとき、ある同級生が授業中におしっこをもらした。がまんできず、教師に手を挙げて申し出ることもできずに足元に水たまりを広げた。大騒ぎとなる教室。そのとき成績も優秀で体育も抜群でおまけにハンサムでたしか学級委員長だったのではないか、或る男子がその男児の引き起こしたみっともない事態を非難した。はじめは黙っていたが、あまりにひどく責めるのでこらえきれず、自分がもらしてしまったならと考えればそんなこと言えるのか、と私は抗議した。すると男児は、こいつは何を言うのだ、と言わんばかりに「俺はもらしなどしない」と堂々と答えた。驚いた。私は根性もなく成績もさえないやせたチビで根っから駄目な子供だったので、授業中小便をもらしてしまうことだってありえると他人事に思えなかった。だから、囃したてられ黙ってうつむいているその同級生の気持ちが伝わりたまらなかった。しかし、「授業中小便をもらすなど『絶対に』ありえない」と固く信じ、そして実際にそのとおりだっただろうその男子には、黙っている同級生の気持ちなどまったくわからないしまた理解する必要などまったく感じなかったのだ。強く正しく優れた人間の冷酷さに対する、弱く甘えた劣る人間の僻みと強烈な敵意を強く刻印づけた体験として記憶している。そしてそれからずっとあと、ダメな奴でも強く生きる類の物語に惹かれていることを自覚していた。檀一雄の「リツ子その死」病床に瀕死の妻がありながら、その妹だったか女中だったか強く迫り関係を結んでいる救いがたい主人公。その長い自伝的物語の最後、幼い長男と二人で旅立つときその男が口にする言葉がある。「強い者は決して弱い者の心を理解しない。だから僕は弱い者の気持ちが分かる強い者になりたい」。そうなのだとその言葉を心で思い切り強く抱きしめた。人間の強さと弱さ。老いた今でも、変わらず両手でその言葉をひしと抱きしめている。
これらは十代のとき、言葉の群れを支えとして生き延びていたころの忘れようのない心的体験である。そのときは先のことなど考えていない。ただどうにか今という時間に耐えていただけである。そしてはるかに、はるかに日々を重ねてきて思うのである。そのテーマは何も変わらない。背反する二つのもの、その概念を乗り越えること、止揚とは観念でなく地面に這いつくばり血のにじむ指で土をかきむしり一ミリでも一センチでも行こうとする塗炭のことだ。それが主題だ。この世に携えてきた問いだ。よくわかる。