「近代の暗黒」(平凡社 日本残酷物語第5巻)
「日本残酷物語」。前にも書いたが、宮本常一他監修による社会学の歴史的名著である。
1から5巻までを入手したので、関心のままに章ごとに読んでいる。このところは第5巻近代の暗黒を集中的にめくっているのだが、本当に興味深い。数値的なデータで総体の様相で輪郭を描き出しつつ、小単位の場を構造的に解釈し、象徴的な生身の肉声をリアルに述べる。そうして生き生きと「現場」が浮かび上がるのだ。
第5巻で取り上げられている民衆の呻吟。
まず、日本における工場制工業の始まりを支える推進力としての「女工」たち。年若い農村の少女らをかり集めたその手法システムと工業での奴隷的労働。その過酷な非人間的労働の実態は凄まじい。やがて社会問題化した後で徐々に労働条件の法的規制制定をめぐる資本家側の抵抗と女工自身の総体的意識の変化。まさに受難史である。
そして米騒動。富山から始まり、そして京都に騒動が引き継がれ被差別部落各地が蜂起する。それぞれの地域での展開とその構造。さらにはその後全国に伝搬したのちの展開。コミュニティにおける統一的意志の形成プロセスに働く内部権力と外部権力の作用がとても興味深い。
また、北海道開拓における所謂「タコ部屋」労働、同開拓のために国家政策として設置された「集治監」(刑務所の前身)囚徒による強制労役。北洋に囲われた「蟹工船」漁業、そして坑夫労働などの実態。
巻題のとおり、日本の近代が人柱としてきた惨憺たる屍塁をこれでもかと見る思い。それを告発と見るなら、便乗する自己投影ではなく、無言のまま不屈の抗議として結ぶ方がふさわしいかもしれない。
漠然とその見出し的な知識はあっても、実は何も知らなかったのだと思い知る。そして、末の結果としての現在の社会場面のその姿の所以であるもともとの原形がそこにあるのである。読むごとに、知った実感が得られる。情報を得たり、扇動に煽られたりするのでなく、知るという経験を書物で獲得できるのは稀である。つくづく名著だ。
これは過去の歴史的名著であるから、現在においてはどのような章立てになるのだろうかと想像する。刺激的だ。