信楽・陶芸の森
先週の日曜、信楽に行って来ました。
陶芸の森で、火鉢の約9割が信楽焼であったと知った。
火鉢の重量感、どこかユーモラスなフォルム、ツルツルの表面、もう今は無くなって、記憶の中だけの残像。
例えば小説に火鉢のことを書いても、若い世代にはイメージ不明なオブジェクトに過ぎない。
残るものと消えるもの。消えないものを軸にしてその周りに消えゆくものを配置する。つまり、見えないものを中心に、その効果音として見えるものを描く。しかし、見えるものを通じてしか見えないものは描けない。ここが面白いのだが、つらくもある。
そんなこと考えた。