木地師
木地師のことは、高畑監督の「かぐや姫」を一緒に観た妻が教えてくれた。私はまったく知らなかった。かぐや姫が幼時に仲良く戯れた村の悪童たちは、木を伐り出し木製の食器を作り町に行って売ることを生業とする一族だ。そして伐り出す材木がなくなると、再び木が生育する二十年後に戻るまで、次の山へと渡り歩く。そういう木製食器を製作する定住せず移動する民の職能集団を木地師というのだと。
滋賀県の三重県に近い山深く、永源寺からさらに奥永源寺に昨日妻とドライブした。廃校となった小学校をそのまま使用した道の駅で、木地師資料館というところがそこから細い道の奥にあると知り、向かった。
離合の困難な曲がりくねった細い山道を行くと、実際に居住している茅葺き屋根の家が点在する集落に出た。蛭谷という名だ。神社の奥に木地師資料館という小さな建物があったが、年末から三月まで休館と札がかけてある。なんともその風情に打たれていた。
そこで、惟喬親王を祀った神社「太皇器地祖神社」がさらに山深くにあると知った。惟喬親王は天皇の第一子でありながら藤原氏と皇位継承争いに敗れ、遠く都から逃れ幽隠した木地師ゆかりの者という。また山道を奥深く辿った。
標識に木地師の里「君ヶ畑」とあった。そちらに行くと、いきなり集落が現れた。驚いた。集落は何らか繋がって存在すると思い込んでいた。閉ざされた奥に存在する集落もあるのだ。まさに木地師の里であった。
深い印象の余韻が残った。滋賀の君ヶ畑は、明治に戸籍制度が施行された際に、遊民である全国の木地師が戸籍に定めたのだという。
国家が一人残らずの「国民」を統制して管理して税を徴収する過程が見えてくる。徴税だけではない。兵役のためでもあろう。権力の手が人間に及ぶ様相だ。深い。