今津-鯖街道-小浜-敦賀

青春18切符が一回分残っていた。今季の使用期限は1月の10日である。もともと金券ショップで3回分を購入したものなので、残り1回分を売ってもよかった。購入したときに買取金額100円追加のクーポンも貰っていた。しかし惜しい。またゆっくりJR乗り放題を満喫したくてとっていたのだ。
期限最終日の10日に遠出することにした。計画を練る。在来線だけで一日どこまで行き、そして帰れるだろう。そう言えば去年は南紀潮岬に行けなかった。年に一度は潮岬灯台から太平洋を眺めないと落ち着かない。朝早く出れば在来線乗り継ぎ串本に午後2時半頃に着くようだ。しかしその日のうちに帰るためには午後4時には串本を発たねばならない。串本駅から潮岬灯台へのバスは本数がひどく少ない。無理だ。待て。レンタサイクルという手はないか。あった。観光案内所で貸してくれるようだ。でもあまりに慌ただしいし、そもそも64歳には過酷すぎないか。帰りの電車の乗り換えが、もうたまらなくしんどくなるかもしれない。
太平洋が無理なら、日本海か。実は先週福井の東尋坊に行ってきたところだ。とは言っても東尋坊の荒波を満喫はしたもののそれはやはり「遠景」だ。海の水に触れてもいないし、間近に海を感じたとは言い難い。どうしたものか。丹後の海はどうだろう。海でなくとも灯台でもいい。余部灯台は無理か。経ヶ岬灯台ならどうだろう。いや、丹後鉄道に乗り継ぐことになってしまう。あくまでJR在来線の旅でなければ意味がない。さてどうしたものか。

迷って居る間に10日になった。とりあえず小浜線に乗ることを目指した。舞鶴と敦賀を結ぶ日本海の路線だ。今まで乗ったことがなかった。ただ京都舞鶴間は乗り換えが鬱陶しそうだ。そう思いながら京都に向かうと目当ての山陰線に乗り遅れてしまった。ならば湖西線で北上して日本海へ出よう。敦賀行きの新快速に飛び乗った。
ガラ空きである。車両を一人で占有して琵琶湖を眺める。虹がかかっている。琵琶湖の水面からか、或いは湖辺のあたりから、鮮やかな色合いが立ち上っている。youtubeからダウンロードした漱石「こころ」の朗読を聞きながら身体を揺られていた。

電車は近江今津に停車した。今津は琵琶湖北西に位置するこのあたりでもっとも大きい町だ。車両はここで切り離され、前方4両のみが敦賀に行く。後方車両に乗車していたので外に出て前方車両に乗り換えねばならない。停車時間を調べようとネットを開くと、今津駅から小浜へJRバスが走っているとある。調べると18切符で割引になる指定路線だ。見るとバスの発車まで5分しかない。慌てて改札へ駆け降りた。
山あいの国道303号線を行く。鯖街道である。こちらでは有名な街道だが、知らぬ人が聞いたらなんとも珍奇な街道名と感ぜられるのではないか。若狭で獲れた鯖を都に運んだ街道だ。運んだのは鯖だけではないし古くは奈良の都まで運送された痕跡があるらしい。山間をバスは行く。例年ならば雪深いはずであるが、まったくその気配すら無い。かつて春先には冬の間に街道で死に絶えた人夫の遺骸が道傍に転がっていたともいう。今津では道路の温度表示は10°と表示していたが、県境のトンネルを抜け福井に入るとにわかに冷気を感じる。計測器の場所によるのだろうが、道路の温度表示は一気に下がり4°と示していた。

小浜駅前に降りた。
小浜と言えば、夏場に京都から向かう海水浴の定番ではないか。自慢ではないが私は泳げないので行ったことはなかった。そういうきらめいた青春譚はとんと記憶にない。初めての小浜は小さい町だ。商店街を歩くとイエローサブマリンがアーケードのスピーカーから流れている。妙にくすりとする。腹が減っていたので何か安いファストフードかコンビニを探すがまったく見当たらない。仕方なく「町の駅」というなんだかよく分からない観光案内所風の建物でかき揚げ蕎麦を食べた。店を出ると驚いた。雨だ。それもなかなか強い降りだ。慌てて持参の小さな折りたたみの傘を開く。googleマップを頼りに、ともかく海を目指すのである。雨の中、すぐに海に出た。
もう靴先はぐしょ濡れだ。安いスニーカーだからしょうがない。海も街中なのであまり風情もない。幅広の階段状に固められたコンクリートに波が寄せてはじける。若干拍子抜けだが、海は海だ。存分に波音を味わう。


それにつけても靴下まで濡れひどく鬱陶しい。せめて靴下くらい履き替えたい。コンビニの所在を調べるが、町外れのミニストップがいちばん近そうだ。目指して歩く間にようやく雨も小止み加減だ。道路には中央部に降雪を溶かすため水の放出孔が並んでいる。これはなんという名前なのだろう。センターに鉄色が続く。初めて見たのはもう二十年前、最初に自転車で琵琶湖一周したとき湖北マキノで見たのだ。真冬、道路の積雪を水が溶かしている様子を車から見たことはあったが、真夏の炎天下に汗びっしょりになって見た路面に並ぶ栓の列と雪が結びつくことはなかった。埋め込まれたレールに見えてとても不思議だった。この風景はしみじみといい。

コンビニで見つけた小さなカイロを2枚買って駅を目指した。途中、突然幼い子供たちの歌声が聞こえてきた。こども園である。あまりに響きが愛しく、思わず塀に寄った。不審者がられない程度に近づき、しばし唄声に耳を澄ませた。友だちとの出会いを慈しむ歌詞だ。卒園式に向けての練習だろうか。まだ早すぎる。先生の声に合わせて思い切り声を張っている。言いようがなく心が緩み温かみが広がる。いい唄を聴いた。

駅のホームは下校する高校生たちでいっぱいだ。いちばん端のベンチに腰を下ろし、濡れた靴下にカイロを貼った。靴下用ではないがいい塩梅だ。敦賀に向かう列車は3両編成で、高校生たちの声が響いている。それぞれ固まり内輪の親しさと他校生徒とのよそよそしさが重なり合い、思春期らしく意識し合う男女の視線がビームのように交差したりする。かと思うと、ひとりスポーツバッグ抱えてかまわず眠り込んでいる女生徒もある。停車のたび、手動でドアを開け切符は駅の収集箱に入れよと放送が流れる。軒並み無人駅だ。生徒の塊を放出しつつ小さな電車は内陸部をひた走る。やがて乗客も減り、ようやくシートに腰を下ろすことができた。スマホをにらみ、別な原稿を書いている間に敦賀に到着した。

改札へ向かう構内で驚いた。北陸新幹線と表示された真新しい階段ができている。夏に訪れたときはなかった気がする。金沢止まりと思い込んでいたがやがて敦賀まで新幹線が伸びるらしい。それは大きな変化だ。東京と直結するのか。
敦賀は好きな町だ。なんとも心を動かされるのだ。自分でも不思議である。活気があるわけではない。むしろわずかに寂寥の色も差す町並みだ。私は無性に心揺さぶられる。
「敦賀にはもうなにかしら原発に関連した仕事しかない」7,8年前だろうか。敦賀の女性から聞いた言葉だ。彼女もその関連事業の会社に勤めていたが、その後敦賀を離れ京都に出てきた。敦賀よりも京都に未来を感じたのだろう。
あまり知られていないが、敦賀はかつてヨーロッパとの玄関口であった。敦賀からウラジオストクへ船で渡りシベリア鉄道で欧州パリベルリンへ行く。欧亜国際連絡列車の時刻表には東京、敦賀から倫敦までの到着予定日時が記されている。敦賀発巴里行き切符など、なんとも雄大で浪漫溢れる。資料を展示した記念館でそれらの資料に触れるとその華やかな活況が痕跡残さず去った現在の静かな街並みがなおさら寂しくもある。しかしその寂寥含めて私には心にじわり沁みいる。
そもそも、かつて日本海側はまさに「表日本」であった。大陸の先進文化と交流してきた長い歴史がある。太平洋側が「表」となったのはほんの百数十年のことだ。
しかし言うまでもなく若狭湾から敦賀湾にかけ福井南西は原発銀座と言われるまで核施設が集中している。原発に頼らざる得なかったのだろうし、敦賀原発は大阪万博に合わせて運転を開始した「先端科学のシンボル」であった。敦賀半島には敦賀原発のほか計画自体が破綻したもんじゅも抱えているし、わずかその5キロ先に美浜原発がある。都市部が当たり前に享受謳歌している電力文化を危険と隣り合わせで支えているのがこの地だ。原発の候補地には決まってまず最初に札束と暴力団が電力会社から送り込まれると若い頃よく耳にしたのを思い出す。やりきれない。
また、敦賀で思い出すのは「夜叉」だ。降旗監督の高倉健主演映画である。舞台の漁村は美浜町らしいが、敦賀駅でもロケされている。書きだせばきりがないので「夜叉」にはこれ以上触れないが、兵庫でも石川でもなく、やはり福井の雪と海の物語だ。
駅を出ると、そのままガストに向かった。もう陽は沈んでいたし、食事のあとスマホの充電がてらゆっくり座って休みたかった。
夜の21:10に敦賀を発てば、最寄駅から最終のバスで自宅に帰ることができる。敦賀にやってきた目当ては気比の浜、海だ。夏は海水浴場となる浜辺である。すでに路線バスもないようなので、歩いて向かうことにした。午後七時半、店を出る。感心なもので、カイロのおかげでズック靴はすっかり乾いている。グーグルだと徒歩で35分とあるから、ぎりぎり往復歩いても大丈夫と踏んだ。

昨年夏にも敦賀にやってきて気比の松原を訪れているがその際はレンタサイクルで向かった。道順の記憶はあいまいだ。それでもだいたいの位置関係は頭に入っているとなめてかかったのがまずかった。進めどもなかなか近づかない。しまった。現在地を確認して驚いた。途中から道を誤りあらぬ方向へとずっと歩いてしまっている。やばい。すごくいい「やばい」ではない。すごくよくない「やばい」の方だ。20-30分は遠回りである。これでは急いで浜辺にたどり着いても、すぐに駅に踵を返したとしても9:10の列車に間に合いそうもない。海をあきらめるか。いやそれは惜しすぎる。真っ暗な夜の海をなんとしても味わいたい。ある情景がすでに心に浮かんでいた。それをいつか文章化するために、漆黒に沈む冬の海を足元まで体感したいのである。急いで、列車を調べた。目当ての列車の一時間後に最終琵琶湖線に連絡する電車が走っている。そして降車駅の到着は? 23:57だ。なんというタイミング。18切符最終期限の3分前に到着予定だ。走って階段駆けのぼれば改札をぎりぎり通り抜けられるか。腹は決まった。これで、ゆっくり海を味わうことができる。
たどりついた松原は静寂の中だ。道の両側からおおいかぶさるようにしなっている松の木が立ち並ぶその間を浜辺へ向かって歩く。もう辺りはほとんど闇の中だ。駐車場に大型のトラックがエンジン吹かしたまま停止している。さらに離れてもう一台乗用車があるが、テールランプを消した。何をしているのやら。
浜に出てゆく。靴が砂を食む。なんとも言えない重低音の海鳴りに、ゆっくりと反復する波音が重なる。広い。暗闇で何も見えない。しかし音が一面から響いてくる。前方ではない。左右はるか全体から波音が迫ってくる。波に取り囲まれるように音が響く。月明りに波がしらだけが見える。怖い。自分の足元も見えないので波との距離がつかめない。それに引きずり込まれそうなのだ。なんという圧倒的な力。どんなに抵抗しようとも、あっという間に漆黒の海に呑み込まれそうだ。遠く点灯する明かりが見える。見上げると、雲に隠れ満月がおぼろな光を発していた。


22:07敦賀発米原行き、二両編成の小さな電車だ。乗客もまばらである。最近はほとんど経験していない車掌の検札があった。五つの赤いスタンプが押された18切符を見せると、年配の車掌は満面の笑みでおつかれさまです、と頭を下げた。
ちょうど定刻23:57に電車は降車駅に到着し、残り1分を残し18切符で改札を出た。ここからまた40分をかけ歩いて帰る。途中、新幹線の高架を整備車両がキラキラと点滅する明かりを川面に映しながらゆっくり走っていく。慌ててスマホを向けると録画3秒で画面は消えた。充電がちょうど切れたのだ。ちょうど盛沢山だった一日の旅の終わりを感じさせた。

青春18切符。以前はその名称を口にするのも気恥ずかしく感じたが、この歳になるとまったくそんなことなくなってただ愛着だけがある。今目の前に使い切ったその切符がある。このおかげでこの冬東京まで往復5,000円で行ってきた。こんなありがたいものはない。次の使用期間は3月だ。ちょうど文学フリマが前橋である。またそのとき金券ショップで18切符を買って在来線三昧で行こうかと思うのだ。