「何かと闘っている人はすべて格闘家です」(船木誠勝)
僕は格闘技が好きだ。しかし格闘技どころか、体育以外スポーツの経験もほとんどない。学校の部活も美術に文芸だ。だからコンプレックスの裏返しなのだと思う。
格闘技という言い方をしたが、十代の頃夢中になったのはプロレスだ。力道山の創設した老舗団体日本プロレスが存在していた頃から、「月刊プロレス&ボクシング」(「週刊プロレス」のルーツ)を購入していた。何に惹かれていたのだろう。もっと小さい頃ウルトラマンの怪獣についてそれぞれデータを食い入るように見ていたのと似ている。
それは中学生の頃の話だ。高校生となり人生の動乱期に入ると、その関心はほとんど消えた。
それが大人になり突然にまたプロレスファンになった。それは長距離フェリーの待合室で偶然にテレビで一人のレスラーの試合を目撃したからだ。長州力だ。その激しい情念をぶつけるファイトに目が釘付けとなった。そして自分で驚いた。胸が熱くなり涙が込み上げたのだ。嗚咽しそうになるのを自分でこらえた。
「俺はかませ犬じゃない」「俺の人生にも一度くらい、いいことがあってもいいだろう」革命戦士という肩書きの彼は「叛逆」の英雄であった。彼は時代の寵児となり様々テレビ番組に出演し、結婚式までが特番で放映された。そして彼は自らの出自を明かし、当時人気番組であった「朝まで生テレビ」で差別をテーマとする討論にも出演している。
プロレスは格闘技ではない。つまり、勝負を競う競技ではなく、見せる興行である。だから感動の質がスポーツとは異なる。アントニオ猪木が今回の参院選を前に引退するというニュースが流れた。猪木が政治家として或いは言わばタレントとしてもこれだけ人々の支持を集めたのは、彼のプロレスに掛け値無しの感動を多くの人々が噛み締めた記憶があったからではないか。例えば人生のどん詰まりにあったとき、猪木の試合を見て勇気を覚え或いは奮い立ち人生を救われたたくさんの人々があったからだ。
やがてプロレスは筋書きや結末ありきの裏事情が明かされ、多くのファンが去りprideなど総合格闘技へと流れて行った。私もその一人。
しかしそれでもなお、かつてのプロレスから受ける感動は今もなお変わることはない。
船木誠勝という選手がいる。中学卒業と同時に新日本プロレスに入団したのち、格闘技のプロ興行へと道を開いたと言われるプロレス団体UWFを経てから、初めて自ら格闘技団体パンクラスを旗揚げした。そのとき彼はまだ23歳だ。
まさに実験的な挑戦であった。未踏の興行である。怪我人が続出して興行が危ぶまれたり、試合が膠着して観客が不満を抱いたりした。それでもプロレス出身者による初めての格闘技興行は先駆的な意味合いを持った。
やがて船木誠勝はヒクソングレイシーに敗れ引退する。パンクラスからも去り、きれいさっぱり身を引く。そして七年間俳優を稼業としたのち、格闘技に復帰する。総合格闘技という格闘スタイルは競技として進化し、復帰した彼は華々しい戦績を上げることはできなかった。以後はそもそもの始めの場であるプロレスに戻り、もう50歳となった今は自身のジムを経営しながら試合にも出場している。
彼と試合をしたヒクソンは、同じく闘った高田延彦と並べて評し、高田はアスリートだったが、船木はファイターだったと賞賛した。絶対にタップ(降参参ったの合図)をしないことを信条とするヒクソンの一族と同様、船木もまったくタップの素振りすら見せず失神を選んだからだ。彼は”live or die”を信条としている。つまり、常に「死」を意識している。それは例えばトレーニングであっても、死を意識して励むのだ。それは一般の人の感覚とは明らかに異なるし、あまりに極端な発想と思われるが、彼は何の疑問もなくそれを揺るぎない信条としているのである。端正な顔立ちながら、内面はまさに侍を思わせる人格像の人物と知られていた。
船木は現在YouTubeでチャンネルを持ち、不定期でトークを披露している。私は彼のトークが大好きである。相手におもねるところがなく、また自分を良く見せようともしない。実に率直で忌憚がない。そして話の端々に接する人への敬意や愛情がにじみ出ている。
そして表題の言葉だ。「何かと闘っている人は、すべて格闘家だ」これは重い病や怪我と闘っている人について語る中でさらりと語られた一言であるが、私は大きな感銘を受けた。自らを鍛え追い込みさらに抜きんでることに鍛錬重ねている者は人と同じであることを嫌う。悪く言えば、お前と一緒にするな、これがその気配から立ち上る。しかしだ。船木は言うのである。「何かと闘っている人はすべて格闘家である」この眼差しはなんと人を生かすものであるだろう。身体の自由を失いながらも懸命に生きている人々への畏敬が溢れている。
これが、格闘技への憧れの核ではないか。そう思うのである。闘うこと。それは敵を叩き潰すことではない。
私が文学に人生を救われた一人だと心から思うのは、生きるという闘いを教えてくれたからだ。忘れられない言葉を最後に引用する。
「然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。」
坂口安吾の「不良少年とキリスト」から。