杉本凌士(劇団男魂)-「but and」2014

劇団男魂(メンソウル)の劇「but and」の上映会を行った。もう5年前の舞台映像だが、その力は圧倒的だ。
メンソウルワールド、そのエッセンスである座長にして脚本演出を手がける杉本凌士ワールドと言いかえてもいいのだが、私が惹かれてやまないのは光と闇のその微妙な塩梅である。昨日鑑賞後参加者と語り合っていたのだが、「希望」と「絶望」の絶妙な相克が私を捉えて離さない。それはそのまま、私が描きたいトーンそのものでもあるからだ。
救いのない世界というものがある。人の世だからだ。それは甘ったれた自己愛の演技的な絶望から、果ては息を呑み語る言葉もなくして心底ゾッとする恐怖と戦慄に震え上がるほかない絶望まである。つまり、闇には底がないのだ。それをただ虚無で描き、たちの悪い疾病のように拡散するのでなく、ひそかに、それでもそこに肯定や意味を敢えて言えば希望を宿すことは果たして可能なのか、止むに止まれぬ情や慈しみから嘔吐するように呻吟する。
そして希望についてもそうである。一切が歓喜と法悦に満たされて、至福の愛が根源から湧きいずる希望そのものでさえにも、実はそもそもにはらむ齟齬に崩壊の予感を見ずにはおかない。
二項の対立が相互に浸透し転化して、それは機械的なアウフヘーベンなどではない初源よりむくむくと膨張する巨大ないのちの轟きを奏でる。
それが人という営みであり、人の世の有り様ではないか。
希望が希望で終わらず見る影もなく朽ち果ててもそれを希望と呼んでも良いのではないか。絶望がたがを失い真っ逆さまに漆黒の深淵に転落してゆくときであっても、終わりではないと告げて良いのだ。
「but and」
容易に一言で言い切れる本当のことなど、どこにもないのだと教えてくれる。