NHK古典芸能への招待 観阿弥「卒都婆小町」2019
卒都婆小町は観阿弥作の能楽である。観阿弥は能楽を確立した世阿弥の父だ。
美少年世阿弥は将軍義満から特別の寵愛を受け、上流階級の中で成長していったのだが、その環境基盤を築いたのは父観阿弥である。観阿弥はもともと奈良大和で様々な芸を披露する芸能人として人気を博し、京に上って将軍に認められるといった経歴を持つ。だからその芸風は芸術と言うよりも、より土着風で大衆的である。それはつまり芸能のルーツである宗教的説教を含んでいるということだ。この卒都婆小町物語も「懺悔もの」ではある。
おおまかな物語はこうだ。京都へ上る途中の二人の僧がいる。自分の信仰と修行に自信と誇りを持っている様子である。と、乞食の老婆が卒都婆に腰かけているのを見つけ、二人は罰当たりだと老婆をいさめようとする。ところが僧は逆に老婆からその論拠をことごとく反論され、ぐうの音も出ない。ここの宗教的議論は前半の見どころで「卒都婆問答」として有名な個所だ。つまり形骸化した教条的宗教を哲学的な宗教の本質で論駁するくだりである。もちろん能であるから、台詞の言葉は美しく、音も秀麗で、また掛け合いの韻律もリズミカルで秀逸。一見信仰に反するように見えること(逆縁)であっても、そこから悟り救済に至るのが信仰の本質だと言うのである。痛快で華やかだ。
問答の後半部は以下のとおり。
僧 「菩提心あらばなど憂き世をば厭はぬぞ」
老婆「姿が世をも厭はばこそ。心こそ厭へ」
僧 「心なき身なればこそ、仏体をば知らざるらめ」
老婆「仏体と知ればこそ、卒都婆には近づきたれ」
僧 「さらばなど礼をばなさで敷きたるぞ」
老婆「とても臥したるこの卒都婆、われも休むは苦しいか」
僧 「それは順縁に外れたり」
老婆「逆縁なりと浮かぶべし」
僧 「提婆(ダイバ)が悪も」
老婆「観音の慈悲」
僧 「槃特(ハンドク)が愚痴も」
老婆「文殊の智慧」
僧 「悪といふも」
老婆「善なり」
僧 「煩悩といふも」
老婆「菩提なり」
僧 「菩提もと」
老婆「樹にあらず」
僧 「明鏡また」
老婆「台になし」
地謡「げに本来一物なき時は、仏も衆生も隔てなし。もとより愚痴の凡夫を、もとより愚痴の凡夫を、救はんための方便の、深き誓ひの願なれば、逆縁なりと浮かぶべしと、ねんごろに申せば、まことに悟れる非人なりとて、僧は頭を地につけて三度礼し給へば」
(地謡とは、人物の心理や物語の状況を美しい言葉と節回しで解説強調する合唱隊のようなもの)
信仰心のない無知な乞食の老婆と思っていたら、逆に最後は僧が感服して頭を下げることになる。これはただの物乞いではないとその素性を僧が尋ねると、なんとその老婆は平安朝で名を成した小野小町が百歳となって生きながらえているその落ちぶれた姿だと言うのである。絶世の美女にして六大歌人(六歌仙)にも選ばれたその小町が、今や物乞い乞食として放浪している、その信じがたい転落が自身の口から語られる。かつてのまぶしいばかりの栄耀栄華と無残極まりない零落のなれの果てのコントラストに観客は息を呑むのだ。先ほどの観念的宗教問答とは打って変わった現実の忍土を生きることの過酷さだ。
首から下げている袋には何が入っているのかと僧が尋ねると小町が答える。飢えをしのぐ粟豆の乾飯が入っている。後ろの袋には、汚れた垢まみれの着物が入っているという。雨しのぐ蓑も、日を隠す傘も破れている。涙をふく袖さえない。道行く人に恵みを乞うが、誰も施してくれぬと絶望のあまり気が変になってしまうのだと小町は言う。
鬼気迫る姿だ。そしてそう語ったそばから小町は狂乱状態になり、僧にものをめぐんでくれと迫ってゆく。驚いた僧が一体どうしたのだと小町にただすと、これから小町のもとに行くのだと答える。お前自身が小町ではないかと僧は混乱する。小町は、深草の少将にとり憑かれ、姿かたちは小町でも心は深草の少将の浮かばれぬ怨念となったのである。なんというホラー。観客は恐ろしさに震え上がる。ここから深草の少将の魂が(小町に乗り移って)その「百夜通い」の無念を一人語るのである。
百夜通いとはこうである。深草の少将は小野小町に激しい恋慕を抱き求愛を迫る。小町は相手にせず会おうともしないのだが、百日間私の家に通ったならば応えてあげましょうと返答する。簡単に通って思いが遂げられると思ったら大きな間違いよ、と拒絶したわけだ。ここで言う求愛に応えるとは、会って寝てあげましょうというセックスのことであり直截な時代である。深草の少将はそれから雨の日も風の日も闇夜を毎日小町のもとに通い始める。なんともすさまじい執念だ。現代風のやりたい一心という厨二病ではない。自分の存在賭けた恋情愛着の異常な妄執である。十日三十日六十日、おそらくすでに精神は限界に達していたのかもしれない。そしてようやく明日には小町とねんごろになれるという九十九日目の夜、少将は大雪に阻まれ絶命してしまうのである。
能では「行きては帰り、帰りては行き、一夜二夜三夜四夜、七夜八夜九夜」と通いつめ九十九日目「あら苦し目まいや、胸苦しや悲しびて、一夜を待たで死したりし」と少将の怨念の所以を地謡が歌い上げ、小町にとり憑いたその魂はおのれの無念を舞うのである。
少将の愛執と小町の驕慢がもたらした悲劇をこれでもかと描き訴える。人間とはかくも愚かであり、その末路の悲惨を見よということである。
小町にとり憑いた少将の語りとなってからは、もう二人の僧は物語から消えている。一切台詞も動作もない。最後に救済が描かれることはなく悲劇としてこの物語は閉じてゆく。最後に地謡が、砂で塔を建てるように小さな功徳を重ね仏の道に入ってゆこうと歌う。
圧巻である。
見どころ満載とはこのこと。14世紀室町時代の作品でありながら、その訴える力は現代まで衰えもしない。すごいことだ。それは作品が時代や文化を超えて人間や世界の普遍に根差しているということを意味する。その作品の魅力や力の有効期限が十年を超えるものすら、世間にあふれる膨大な作品群の中でわずかである。ちょうど45年くらい前になるか、当時私は文庫本で小説を読みまくっていた。三畳の自室は文字通り本で溢れ、実は散乱した本の海の上に布団を敷いて寝ていた。出版社の目録片手に、まさに読みまくっていたのである。しかし当時書店にずらり並んだ作家の本が、今やすっかり消えて目にしなくなったものも少なくない。それは当時の作品が普遍に触れていなかったということではない。それは流動する潮目の変化のように作品に対する世間の「人気」は実に気まぐれでうつろいやすいということだ。変化する時代精神に応える物語の賞味期限は短く、さらに一時の流行が巨大な波となって、普遍に触れる珠玉の作品群を葬って、跡かたなく消し去ってしまうのだ。だからこそ、そうした時代や歴史、文化の変遷を経てもなお輝きを失わない作品の存在はまさに奇跡と言っていいのである。
能は、小説と詩と朗読と歌に舞踊、器楽演奏に合唱朗唱そして囃子それらを一つにまとめ上げた驚異の総合芸術でありエンタテインメントだ。戦国の争乱や太平の江戸、幕末維新から明治の文明刷新、世界戦乱から物質狂瀾へと、700年以上をくぐり抜け、その原典が決して消失もされず舞台がそのまま存続した事実が教えるものは何か。作品を産み出すその営みに強烈な呼びかけを感じるのである。