メアリーシェリー-「フランケンシュタイン」1818
NHKの100分de名著、先日「フランケンシュタイン」の四回シリーズをまとめて見た。
以前、映画「フランケンシュタイン」を見てとても面白く、その感想をここに書いた。そのとき娘から原作小説の方がずっと面白いよとLINEが来たのだが、スルーしていた。
100分de名著はとても良質な番組。そのタイトル通り、25分番組で計4回一つの名著を取り上げる。とは言ってもまとめてシリーズ全体見たのは「苦海浄土」くらいで、大概は全4回のうち1、2回を見て終わってしまう。しかし、作りがとてもよく視点構成とも安心感がある。
で、「フランケンシュタイン」。冒頭、世間の誤解を解く驚きの原作内容が明かされる。フランケンシュタインというのは生み出した科学者の名で、死体から生まれた怪物自身に名前がないというのは良く知られている。そして、その怪物がとても知能高く教養深い読書家だというのだ。そして自らの出自に悩み葛藤し、語る言葉も哲学的なのだ。なにしろ副題が「現代のプロメテウス」だ。自らを生み出したフランケンシュタイン博士に対する復讐に人生(怪物生?)を費やすのだが、ストーカー的であり愛憎のもつれっぽい。十分にユニークなのだが、著者はなんと19歳の女性。驚いた。そして書かれたのは依然フランス革命の余波で揺れている19世紀初頭のヨーロッパだ。てっきり20世紀の物語と思っていた。
とにもかくにも原作と世間に流布されたイメージの大きな隔たりに驚かされる。これはやはり映画の印象が強いのだろう。
怪物の苦悩についてだが、それは一言で言えば「どうして私を生んだ」ということだ。醜悪な容貌ゆえに社会に容れられず、存在自身が許されない。その不幸は深く深層において私たちの共感を呼ぶものだ。その抜きがたい不幸、苦しみの果てに、彼は科学的野心から自らを産み落としたフランケンシュタイン博士に対し復讐の鬼と化す。これも犯罪行為のひとつの典型でもあると言える。
仏教では人間が背負わなければならない四つの苦しみとして生老病死を挙げている。なぜ生まれ生きるのか、なぜ老いるのか、なぜ病気になるのか、なぜ死ぬのかという四つの避けがたい苦しみだ。この、なぜ生まれ生きるのかという問いの強烈な現れが小説フランケンシュタインの主題であり、最後憎しみの対象である博士が死ぬと後を追うようにして自ら命を絶つことで物語は終焉する。怪物が愛読したゲーテの「若きウェルテル-」と同じ末期を自らに課すのだ。
深い。そしてこれが19歳の女性の手による物語とは驚異的である。200年以上にわたりそれも世界全体でその物語が愛好されるというのも大変稀有なことであるが、そういう人々の深層に食い込んでやまないキャラクターを生んだのが少女だというのも驚異的だ。
凄い。物語はあらかじめすでにあり、作家を通して語られ綴られるのを待っているだけだということをつくづく思う。時代や国、民族を超えて読まれ続ける物語の存在自体が奇跡そのものであり、それは人間業ではない。そのことを思わせる。
100分de名著「フランケンシュタイン」とても面白かった。小説読んで見たいが、なんだかもう読み終えたみたいな気分になる。いけないな。でも、それだけ番組がしっかりしているからだ。むしろ瑣末な枝葉を強調して「実は-」と意外さを強調して「分かった」気にさせてくれる手軽本や番組が流行りの中、全体をしっかり押さえ要約してくれるというのはとてもうれしい。ま、これはこれで分かった気になるのも考えものだが。ともかく、面白かった。