コールタールの黒
もう10月だけれど、夏の終わりを思い出して噛み締めたくもなる。だって、慌ただしかったものな。あのきりきりと胸痛む夏の終わりはこんなに擦り切れて鈍麻した精神には遠い過去だ。
今若い時分を思い起こすのは、なにひとつ分かってはもらえなかったということ。つまり、僕のこと分かっているとその人は思っていた。僕のことをよくわかっているとその顔も言葉も言っていた。僕は内心、そうじゃないんだけどなと思いながらも自信がなくて、そしてその人が自信たっぷりなので、僕自身のこと、僕よりもその人の方がわかっているのかもしれないと寂しく思っていた。でもこんな年寄になってようやくはっきりとわかる。全然、分かってもらっていなかった。その人は僕のこと、なんにもわかってなかった。なんにもわかってもらえなかった。誰にも分かってもらえなかった。はっきりと言える。言ってあげたい。どうしても心の底からにじみ出てやまない孤独と寂寥、誰にも分かってもらえない、たった一人だということ、死にたいほど一人だということ、それは間違いのないこと。だから、それを抱えるしかない。誰もお前のことを理解はできない。お前は理解されない。そうだ。人は理解し合えるなんて、嘘だ。うすうす気がついているだろう。だから、お前の住まいは、悲しみと孤独だ。怖れなくていい。その悲しみの深みで、お前は一人でない。孤独の深みで、お前は一人でない。悲しみと孤独の底で、お前はたった一人ですべての人につながれることを知る。その人が気づかないところで、お前はその人の悲しみを知る。その人の孤独に胸痛め涙する。それで十分だし、それ以上に幸いはない。悲しみと孤独の底でひとりお前はあらゆる人の悲しみと孤独を抱きしめる。今、お前に私が告げられるのはそれだけだ。だから書くのだ。書き続けるのだ。
そういう歌があった気がする。そういう言葉を読んだ気がする。深い紺色の秋が暮れ沈む。遠く山波が紅葉で燃え立つのはまもなくだ。