上田慎一郎 – 「カメラを止めるな」2018
初めに聞いたのは先月の頭だ。実際に東京の劇場ですでに観たという人と、噂を聞いており是非観るつもりだという人から話を聞いた。そのとき私はその映画をまったく知らなかったのだが、二人の興奮した話ぶりと語るその内容から、それなら必ず見るぞ、と私も即断した。ところがそのときはまだネット界隈でもさほど話題になっておらず、京都での上映は桂川イオンのみ、滋賀での上映はなかった。月末から出町座で上映されるらしいとそれを楽しみにしていた。ところが、あれよという間にネットで話題となり、その評判がにぎやかにニュースとなって行った。そのうちに滋賀でも近江八幡イオンだけでなく、大津で上映されることになった。最初の感じは「この世界の片隅で」に似ていた。あれはいい映画だと口コミの評判を耳にし、やがてじわじわと遥か後方から社会の表に少しずつ出てきて、上映館が増えてくる感じ。「この世界ー」のときは確か最初京都に上映館はなく、滋賀は近江八幡イオンだけだった。いそいそと近江八幡まで出かけたのだ。しかし今度は勢いが違う。じわじわではない。あっという間に、というスピードだ。いろいろ評価を目にしたが、最初に直接話を聞いたその感想や評価を信頼していたので、期待は衰えなかった。
観た感想は、始め想像していたものよりもはるかに真っ当でスタンダードな映画だった。もちろん、とても面白かった。観ていてすぐに思ったのは、「あ、『ラジオの時間』だ」ということ。
「ラジオの時間」は三谷幸喜の映画では「有頂天ホテル」と同じくらい好きな映画だ。というか、正直なところこの二本しか三谷が監督した映画は面白いと思わなかった。脚本なら「12人-」とか「笑いの大学」とか好きなのだけど。
何かひどく凝った仕掛けがあって、その突拍子もない意外さに愉快な衝撃を受けるのかなと想像していたが、構造的な仕掛けは特にない。それこそ、前に書いた「銀魂」のようなブレヒトの言う「異化」が組み込まれているのではと思っていたが、要は、メイキング映像を本編にしたという単純な構造だ。種明かしのそれぞれがとても面白い。おそらく(乱暴B級とは言え)ホラーの残酷映像と悲鳴が実はこんなことだったという落差がカタルシスにもなっているのだと思う。話に聞いていた通り、上映中思わず声を上げて笑いそうになるほど愉快だった。「ラジオの時間」は「音声コンテンツ(作品)」を作り出しているその舞台裏を映像としてリアルタイムで描いている。「カメラを-」は「映像作品」を作ろうとしている現場を映像作品として描き(ここまでが映画の中の出来上がり「作品」)、さらにその作品を生み出した舞台裏をおもしろおかしく明かしてゆくこの部分が映画の本編ということになる。実は、それも俳優演じた作品であるので、最後にスタッフロールでさらにその現場をメイキングとして映している。二重三重に畳みかけた騙し絵である。
「ラジオの時間」が好きなのは、素人のドラマ脚本家とプロの制作陣とのやりとりが身につまされるところがあるからだ。だから、観ていてちょっと痛い部分もある。素人脚本家があまりに脚本を変更改編され、もう私の作品とは言えないからスタッフとして私の名を外してくれ!と叫ぶシーンがある。それは脚本家の自作への過剰な思い入れと愛着、そして作家として自分の名が初めて社会に明かされる恍惚感が背景にある。しかしそれは寂しい一人芝居だ。スタッフたちは全部わかっている。ある意味「作り手」としてはるか昔に抱いたこともある「甘えた」感情だと知っているのだ。しかし、スポンサーとの折衝など担っているプロデューサーはなんのためらいもなく「それで手を打ちましょう。希望通りスタッフから名前を外しましょう」と承諾する。決してその希望が字義通りの「本意」ではないことを知っているディレクターたちは、作家を本気でたしなめる。どんなに自分が納得できなくてもそれは自分の作品なのだ、と。それはずんと胸に迫る。僕もクリエイタ時代実はクライエントからの度重なる修正で跡かたなく自分の意図が変更され、ぶち切れて制作者としての名を外してくれと依頼社に言ったことがある。恥ずかしい。
そして「カメラをとめるな」。これは映画作りに関わっている人にはたまらないのではないか。カリカチュアライズされているが、映画作り、そこに関わる人々への哀切きわまる愛情が溢れんばかりだ。実はそのほとんどがあるあるネタのデフォルメなのではないかとさえ思う。
これは喜劇だ。しかし、描きようによってはそのまま悲劇にもなるし、社会派問題作にだってなる。要は描き方の違いだけだから。しかし、悲劇にも問題提起にもせず、愉快な喜劇に落とし込んだところのヒューマンなまなざしが全体を温かくし、観ている者をとても慰撫する。それがヒットの所以でもあろうと思う。
面白かった。
そしてもう一つ。最初の上映はたったの2館である。製作費は300万という。ミッションインポッシブルだと数秒しか作れない額だと最初に聞いた。実際に計算してみた。1.5秒だ。これでずいぶん儲けたんだなという感想を聞いたが、そんなことじゃないと思う。「どんなに条件が悪くても、面白い映画を作ればヒットする。つまり、たくさんの人に見てもらい、次作への制作などのための資金、環境が獲得できる」ということだ。実績がなくても配給会社から無視されても、世に打って出られる、ということだ。これは奇跡だ。とてつもない希望だ。この映画一本で、世に出られずくさっているどれだけの映画人を奮起させただろうかと思う。それは必ずすでに動き出しているはずだ。必ず、やがて授賞式で私は「カメとめ」で奮起してこの映画を撮りはじめましたという監督が出てくるはずだ。あらかじめ動員を見込めるアニメ漫画小説原作もの、人気大根アイドルモデル主演映画が席巻している映画界を揺り動かしているはずだ。攻勢かけねば。
そう思う。