橋本忍 – 「砂の器」1974
映画「砂の器」の構成は普通ではない。警察捜査会議の席上で担当刑事がすべての事情背景を語り、その真相が明らかとなる。これは定番のスタイル(以後この様式が模倣され定番となったのかもしれない)だが、驚くのはその長さだ。約二時間半の映画の内、捜査会議が始まるのはまだ映画のちょうど中盤あたりなのだ。つまり、延々一時間以上真相が「語り」によって述べられるのだ。舞台ならともかく、映像で「語り」を長々見せられるとたまらない。平板で刺激のない視覚のまま、耳だけ研ぎ澄まし語りの言葉をくどくどと聞かせられることになり、見ている者はいい加減疲れてくる。まずい脚本だ。ところが「砂の器」では、その刑事(丹波哲郎)の語り口が朗々として説得力十分であることに加えて、語られる事実が過去の映像として劇的に描かれるのだ。いわば刑事の語りをナレーションとして、過去のおどろきべき情景が畳みかけるように映し出される。さらに、会議と同時刻に開催されているコンサート会場で栄光の高みに登りつめている「犯人」の姿が交互に挿入されるのだ。否応なく過去と現在のコントラストが極限まで高まり、さらに犯人が演奏するエモーショナルなメロディが怒涛のように情動を揺さぶり、これでもかと悲劇性を高める。すごい。残念ながら、映画では昭和初年であるはずの田舎の風景にきれいなセメントの橋や舗装道路が映るなど、興覚めな部分も確かにある。それでもなお、ハンセン病という桎梏の原作テーマを圧倒的な映画ドラマに昇華させたのは、何より「脚本」の比類ない抜群の力があってこそ、その完成度に達したのだと納得させられる。
脚本は、先般死去した橋本忍。
朝日新聞に共同脚本の山田洋二が執筆時のことを述べている。目に浮かぶよう。
脚本家・橋本忍さん 弟子らが悼む (朝日 2018/07/24)
「砂の器」白い紙に一気に 山田洋次監督
「ゼロの焦点」と「砂の器」の脚本を橋本さんの下で書きました。それまで僕は、脚本とは想像力を奔放に羽ばたかせて書くものだと思っていた。橋本さんは構成を大事にします。建築の設計図のように精密。だから観客に知的な喜びを与える。
「芸術というよりも職人ですね」と聞くと、橋本さんは「農民だよ」と答えました。「毎日畑に出て、天候を見ながら雑草を抜いて……。脚本は作るんじゃない。育てるんだ」と。
「砂の器」の原作はとても複雑で、橋本さんも僕も「映画化は難しいんじゃないか」と思っていた。捜査会議と親子の旅、コンサートの三つが並行して進む「砂の器」の後半の構成を思いついてからのことは忘れられません。橋本さんは当時、かなタイプを使っていましたが、夕イプをやめてね、白い紙に堰を切ったように、一人でどんどんどんどん書き進めていった。僕も興奮していました。
その後も、師匠にはいろいろ相談しました。でも、相談するのは覚悟が要りました。「そんな映画、やめた方がいい」とよく言われるんです。あの時も、勇気を出して相談しました。
「東京の下町に、頭も顔もまずい男がいましてね、美しい娘に恋をするんだけど、当然振られる。男は悄然と去っていきます」。すると橋本さんは「それから?」と聞くんです。「それだけです」と答えたら「君、それは前段だろ。ここからが面白いんだよ。その娘が殺されて江戸川に浮いたり……」と言う。傷つきました(笑)。そして傷つきながらも気づきました。橋本さんと僕とでは、資質が違うんだ、前段だけでも映画は作れるんじゃないか、と。
橋本さんは伊丹万作監督の弟子です。そこに連なっていることが僕の誇りです。それを僕は次に引き継げているのか、と自分に問うているところです。