土本典昭 -「パルチザン前史」
あれはいったい何だったんだろう。
思わず心で何度もそうつぶやいてしまう過去の出来事。
連なる日々、いわばその時代。
ドキュメンタリー映画「パルチザン前史」をAMAZONで購入した。
以前、VHSで所有していたが、かなり前にヤフオクで売り飛ばしてしまったため、見たのはずいぶんと久しぶりだ。
1969年9月、京大闘争をめぐるノンセクトラジカルに密着したドキュメンタリー。主人公はこの数年後自衛官殺害事件をめぐるフレームアップで指名手配され、十年にわたり潜行逃亡した滝田修だ。もう62歳になる僕がまだ中学二年生だった頃だから、もう半世紀近い昔のことになる。直に全共闘運動を体験した世代ではないし、懐かしいわけではない。初めに見たのは学生時代だが、私は京大生でもなければそれからすでに10年近くを経ていた。それでもこうして当時の京大構内、農学部グラウンド、そして街頭の主戦場となった百万遍界隈の映像は記憶を刺激するし、心が動く。今やはるかにその痕跡が消え果てているからだ。
ひとつのピークであった東大安田講堂の攻防をその一月に経て、映像では運動の退潮期にあってもがく活動家たちの姿を映している。重苦しく沈痛にも見えるが、見る人によっては「いい気なもんだ」と嫌悪を隠さず吐き捨てるように言うだろう。コンプレックスによる暴力ではなく、「祭りのような暴力」を煽る滝田修。そのアジテーションに心動かし、破滅や破綻に見舞われた累々たる恨みの顔が浮かぶようだ。
それでも変革への意志や本来性の希求が欠乏しているなら、それはひとつの退廃と言えるのではないか。その眺めから、やはり問いたい。「あれはいったい何だったのか」
新左翼全共闘運動の爆発点となった67年羽田闘争のドキュメンタリ「現認報告書」を続けて注文している。そして最後に「三里塚」映画群を観たい。そしてその事態の呼びかけるものを自らにおいて明らかにしたいと思う。