9月
バイトの帰り、山科駅近くの古本屋で吉行淳之介の短編集を買った。中期以降の話題作より、初期娼婦ものや何気ない短編がやはり好きだ。吉行の何が好きなのだろうか。
文体がいい。重すぎず簡潔で、乾いた透明感がある。これは文体だけでなく、吉行の物語に激しい感情の爆発やむき出しの対人的衝突という場面はない気がする。興奮よりも覚めた感情、直接正面同士の対峙より距離を置いたままの微妙な「ねじれの位置」の関わり。相手に大声張り上げるより、誰に言うともなしに独り言ともつかぬ言葉を発する、とそういうイメージがある。油彩でなく水彩。
テーマとも言える男と女の交歓もむき出しだが淡白、いや抑えているが濃厚か。底流には孤独や寂寥が響いている。ことさらにでなく。
でも、僕が若い頃には書店に文庫本が並んでいたのに、もうほとんど見ることもない。中上健次すら探さねばならない。
スポーツの記録は時代を経るごとに新しく記録は更新される。進化するということだ。しかし、文化ははっきりと劣化することもある。ダメになって行く、ということが実際にあるのだ。
そんなことはない。時代の推移に過ぎない、と思っていた。時代の切り取り方の問題で、トータルすれば進化している、そう思っていた。しかし、どうだか。
本当に、ダメになって行く。素晴らしいものを壊し、真実を否定し、ドヤ顔。気の遠くなるような長い時間かけて、揺るがせない思い賭けて知恵の限り注いで積み上げてきたものを、いっときの興奮や無知で、根底から否定して一気に破壊する。あっけない崩壊。
もう9月。まだ蝉は鳴いている。