文藝年鑑 2021版

文藝年鑑 2021版 日本文藝家協会編纂

概観〈同人雑誌〉

 令和二年の同人雑誌の動向は、コロナ禍による緊急事態宣言の影響と、新同人誌の出現に特色を見出す。
 「あるかいど」(大阪府)69号は四〇ページ近い「パンデミック特集」を組んで、これまで経験したことのないマスク社会の到来を様々な角度から表現している。
 「老人文学」(大阪府)は「コロナの時代の私たち」特集号を発行して、生活や仕事の変化を記し、オリンピックを含む今後にまで想像を膨らませている。ちなみにこの誌の主宰者の眞住居明代は「マスク」というコロナの状況を題材にした小説で二〇二〇年度の銀華文学賞優秀賞を受賞している。また「カプリ
チオ」(東京都)51号も「特集/パンデミックをよそ目に、〈詩〉を語ろう」を組んで、間接的にコロナの状況と向かい合っている。
 これらの時代状況への敏感な反応は、話題的には目を引き、状況の記録的価値は残るものの、文学的な内質となると、まだ浅いものが多く、鋭い視点や深く穿った問題点を示している作品は少ない。しかし時代に置き去りにされがちな同人雑誌の書き手の中にあって、いち早く時代状況に働きかけた即応性は、現在の同人誌の能動的な側面として評価していいかもしれない。
 書店ではカミュの『ペスト』の文庫本が積まれ、この小説とコロナの状況を比較しながらの同人誌の読書会が試みられる傾向もあったものの、全体的に合評会も避けられ、メールやSNSによる通信合評会、また郵便通信による代替も増えた傾向にある。
 コロナ禍の影響で、例年盛況であった文学プリマは各地で中止され、フェスティバル的な同人誌の交流は乏しくなって、狭い地域での持ち寄りに留まり、現実の集いは遠のかざるをえなかった。しかし反面、むしろ電子通信媒体への移行が、同人雑誌の組織形態に与えた影響は大きく、「ワード」データやPDFの容易な交換、SNSによるコミュニティの拡大は、作品の個人間の交流を容易にし、新しい傾向の表現結合を予測させる。
 この領域で付言しておかなければならないのは、インターネット媒体への発表形態の変化である。これまでウェブ小説としてインターネットに独自で発表されてきた形態は、「小説家になろう」「カクヨム」などの投稿サイトに糾合されつつある。これらは無料で作品を載せ、誰でも読めるインターネットーサイトで、「小説家になろう」サイトの登録者数は公称八〇万人、作品数は四〇万と膨大な数に及んでいる。読者は気に入りの作品に票を投じ、サイトの主催者は人気順に出版を企画する。作品はあくまで軽い幻想小説が主流で、編集者は不在、サイトそのものがブローカーやスカウトの役割を果たしている。当然根は浅く、文学とは呼べないものがほとんどだが、コロナで失職した三〇代、四〇代もこれに参加して一種の発散を得ている現実は、看過できないものがある。
 コロナ流行の閉塞的状況下にもかかわらず、創刊された同人雑誌も少なくない。「文芸エム」(滋賀県)は二〇二〇年後半創刊号、2号を出し、「生きる武器としての文学」を創刊の辞として打ち出すなど尖鋭な姿勢を示している。主宰の原浩一郎は第一一回の「アクリル板」に続いて「出所証明」で二〇二〇年第十三回銀華文学賞最優秀賞を受賞した新鋭で、刑務所を舞台にした作品は、商業文芸誌にはない衝撃性がある。「文芸エム」にはカミュとサルトルへの長編評論「カミュ『誤解』、サルトル『出口なし』、その源と将来」(林娼霊)など迫ってくるものが多く、根源に触れる可能性が感じられる。少部数を低額で刷るオンデマンド印刷の方法も、これからの同人誌の作り様を象徴している。新鋭雑誌には、これ以外にも「山羊の大学」(愛知県)創刊号や、「babel」(大阪府)4号、「ignea」(大阪府)9号があり、どれも若手による現代の新鮮な匂いがある。また前衛的姿勢を正面に出した「何度でも何度でも新しい小説のために 前衛アンソロジー」(愛知県)創刊号は、「前衛」を標榜するだけあって、どの作品も挑戦的な方法を試みている。「螺旋状の瞳」(幸村燕)など、経験を解体して、意識の繋がりによって再構成する果敢さは注目されるものの、今後どのように発展していくかは、未知数である。
 歴史小説の分野にも新たな動きはあり、「茶話歴談」(大阪府)2号の「血まみれ大膳、出雲の鹿に挑む」(真弓創)は、史実からよく人間の特徴を引き出し、それに息吹を与えて、痛快な歴史劇に立ち上げている。他の作品も、歴史小説の醍醐味を存分に味わわせてくれる。
 同人雑誌の領域からは、はみ出るかもしれないが、第一回文芸思潮新人賞の最優秀賞三人の女性受賞者は二十代前半で、「光源」(北谷ゆり)、「赤白休暇」(石田夏穂)、「桃と煙草」(深滓眞歩)は、どれも文章が新鮮な上に、彫琢や流れが素晴らしく、若い世代の言語感覚に新しい力を感じないではいられなかった。地球のほぼ裏側に当たる距離をメールで交信しながら進む恋愛の結末や、出会い系サイトによって会う互いの名前を明かさない関係など、現代的状況の上に文章を紡いでいく若い世代の力を覚えた。
 近畿地方の同人雑誌作品を対象とする第一四回神戸エルマール文学賞の受賞作品「あやとり巨人旅行記」(稲葉祥子「雑記囃子」24号/大阪府)と「夜を漕ぐ」(葉山ほずみ「八月の群れ」68号/兵庫県)も、関西地方の文芸創作の活力を感じさせる。「あやとり巨人旅行記」は「巨人」を登場させる奇抜な発想の上に、多人称モノローグというべき方法の新奇さもうまく溶け合って、ユニークな世界を展開させており、「夜を漕ぐ」は人の触れ合いの温かさが快く流れている。
 また二〇二〇年第一四回同人雑誌作品最優秀賞「まほろば賞」は「妙子」(小松原蘭「遠近」72号/神奈川県)と「当麻曼荼羅」(桑山靖子「たまゆら」114号/京都府)が受賞、特別賞は「火鈴」(木山葉子「木木」32号/佐賀県)、中上紀・五十嵐勉賞は「川靄」(柳沢さうび「北方文学」79号/新潟県)、河林満賞は「睡蓮」(長沼宏之「弦」106号/愛知県)、読者賞は「雨宿り」(葉山ほずみ「八月の群れ」69号)が受賞した。

 伝統の同人雑誌の中にも、注目すべき問題作や衝撃作がある。「キツネピ」(渡辺光昭「仙台文学」95・96号/宮城県)は、バス停に並んでは人に先を譲る奇態な人物を導入にして、狂気の中に一生を終える女性の運命を放火の炎に象徴して揺らめかせるストーリーは、日常を脅かす深い底を覗かせる。また「破れ蓮」(飯田 労「じゅん文学」104号/愛知県)は、母殺しを題材にしていて、認知症を伴う介護で追い詰められた主人公が、母親を湯船で溺死させ、それを蓮池に隠し捨てるラストに迫真性がある。これはただ小説として衝撃的であるだけでなく、介護の大きな負担が妻子にも逃げられる行き詰まりを生み、破綻していく状況が、現代社会のどこにも一般的に見られる普遍性を有しているところに、隠れた怖さを潜ませている。行き詰まればだれもが被介護者を殺してしまおうという衝動に襲われる、裏の心理をよく反映している点で、現代社会の底の広がりをも感じさせる。
 落着いた味わいを匂わせる佳品も多い。「ある岸辺」(鴨居諒「中津川文芸」復刊5号/岐阜県)は、夢の中に現れた小さい池に浮かぶオールのないボートをめぐって、夢と現のつながりを覚醍していく物語だが、その間のおぼろさに境目が溶けていく感覚が陶然としていい。「しずり雪」(小網春美「飢餓祭」46号/奈良県)の、恋仲になった会社の上司の介護を任せられ、最期を見届けていく一つのなりゆきも、匂いが立っている。また四国地方では「海峡」43号(愛媛県)の「姉妹」(藤井総子)が、車でいっしょに帰省する途中の交通事故を題材にしていて、一方は死に、一方は生きる姉妹の運命の岐路を掘り下げている。また九州の「海」90号(福岡県)の「喫水線」(有森信二)も、生死をかけた父親の胃潰瘍手術の顛末に、圧倒的な切迫感があり、ドラマが立ち上がっている。
 評論のジャンルでは、「人間像」190号(北海道)に掲載された「軍刀による殺傷事件の真偽をめぐってー大誠丸遭難ー」(妹尾雄太郎)が、吉村昭の小説「海の柩」の成り立ちを俎上に置いて、鋭い論評を加えている。遭難した船の兵たちが救助のカッターの縁に押し寄せてつかまろうとするが、そのままにしておくと諸共に沈んでしまうので、将校が槌る手を軍刀で切りつけて拒んだことの真偽を追及している。ここには生き延びるために味方の命もかえりみない戦争の苛酷な状況が露出するが、現代の平和の中では忘れられている赤裸々なエゴイズムの角逐をあらためて取り出して見せた真摯な筆致は、インパクトがある。戦争において味方が味方を殺す惨酷な場面は無数にあり、その文学的な問いかけをあらためて提示してきた筆は鋭く新鮮に映った。
 「群系」44・45号(東京都)は「平成三〇年間の文学」をⅠ・Ⅱにわたって特集していて、平成文学の輪郭を得ようと試みている。平成に活躍した作家をほぼ網羅しているが、それで平成の文学像が浮かび上がったわけではなく、むしろその中にある「私説・平成の芥川賞」(星野光徳)の論評が、正鵠を射ていた。特に昭和の芥川賞作品の魅力をあげて、それらと対比しつつ平成の芥川賞作品の内質の衰えを指摘している評には説得力があり、現在の不毛な文壇状況とそれに繋がる文芸出版の本質を摘出している。
 同人雑誌全体でまとまって交流と情報の共有化から、作品を広がりの中に置こうとする動きも大きくなり、インターネット時代に即応して全国の組織にする、第三回全国同人雑誌会議での提案も、具体的な準備が推し進められている。日本文学の底辺からの活性化が実現することが期待される。
    〈いがらし・つとむ 作家/全国同人雑誌振興会〉