言葉
言葉を覚えるのがとても楽しかった。
2歳児の話ではない。16、17歳の頃のことだ。
本を読みあさった。読み「あさる」という語の響きが誇張とは思われないほど、読みまくったのだ。
当時は詩作が精神生活に深く根を張っていた。
今でもそう思うのだが、私には確信がある。どこの誰も言っていないのが不思議でならない。
「言葉は言葉にならない思いのためにある」
言葉にならない思いを表すには言葉しかない。そうしっかりと確信したのがその頃だ。これは恣意的思索で導いたのではない。生きようとして、もがき、まるで崖にぶら下がり必死で掴むものを探していた末に、最上の命綱を得た心底からの歓喜である確信なのだ。
昼飯を我慢し250円の文庫本を買って学校帰り、丘の上の自宅までの間に読み終えたりした。よく事故に遭わなかったものだ。部屋はゴミ屋敷のように本で埋もれ、幾層にも堆積した本の上に布団を敷いて寝ていた。
言葉のおかげで生きて来れた。そう思う。
言葉は友である。いのちだ。
だから言葉があれば生きて行ける。
まだまだ言葉と一緒に、遠くまで行こうと、思うのである。