善知鳥(うとう)
善知鳥(うとう)で、地獄に墜ちた亡者は猟師である。
何を以って猟師は終わりない責め苦を浴びる裁きを受けねばならなかったか。
執着、怨念、妄執ゆえの因果ではない。
猟師の罪はその生業ながらの「殺生」であった。
しかしである。猟師は鳥獣を殺めることそのものが生業だ。
だから、彼は恨み言を述べる。
「士農工商の家に生まれ」たなら、罪を重ねず済んだものを。
しかし、罪の核心はそこではない。
南国と北国に親子裂かれて流されたうとうやすたかの伝説。
親鳥来たりて「うとう」と鳴けば、雛鳥歓喜してあらわれ「やすたか」と鳴いて応える。
その情愛こもった習性を逆手に取り、猟師は親鳥を真似て「うとう」と鳴く。
すれば、雛鳥「やすたか」と鳴きながら喜び姿あらわす。
猟師はたやすく雛鳥を捕らえる。面白いように、雛鳥を殺めることができた。
梅原猛が記した「快楽としての殺生」が善知鳥におけるその罪業というそれが所以だ。
地獄に堕ちた猟師への応報が凄まじい。
地を這う雉と化した猟師は大鷹へと化けた親鳥に追われ襲われただ逃げ惑う。
化け鳥は鋼のくちばしで猟師の眼を突き、肉を裂く。
助けを求め声を上げようにも、猛煙にむせて声が出ない。
逃げようにも、立つことができない。
それも猟師ゆえ生前の殺生の報いか。
安むことないこの責め苦をどうか助けて欲しい。
助けて欲しい。
そう言って姿を消す。
しかし忘れてはならない。
責め苦を負わす親鳥は血の涙を流し続け
空一面の血の涙なのである。
それは猟師の平和な現世の営みが日々もたらしていた血の涙なのである。
猟師は地獄に堕ちて責め苦にあえぐが、
親鳥衆は何年何十年に渡って生きながらにして責め苦に血の涙流し続けてきたのだ。
だからなのだ。
生きるとはなんとむごいことか。
だからなのだ。
生きるとは罪業生きることなのだ。
だから呪い言呻くのだ。
士農工商の家に生まれたなら、
士農工商の家に生まれたならと。
そして生きるうちに、かたわらの苦に眼が開かれておればと。
生きるうちに、みずからの罪業に心開かれておればと。
やむなき悔恨と慙愧のうたである。
「善知鳥」。
「うとう」「やすたか」。
※
「親は空にて血の涙を、
親は空にて血の涙を、
降らせば濡れじと菅蓑や。
笠を傾け此處、彼處のたよりを求めて隠れ笠。
隠れ蓑にも あらざれば、なほ降りかかる血の涙に、
目もくれなるに染み渡るは、紅葉の橋のかささぎか。
裟婆にては善知鳥やすかたと見えしも、
善知鳥やすかたと見えしも、
冥途にしては化鳥となり、
罪人を追つ立て鐵の嘴を鳴らし羽を搏き、
銅の爪を磨ぎ立てては、
眼を掴んでをさけばんとすれども、
猛火の煙に咽んで聲をあげ得ぬは、
鴛鷺を殺しし科やらん。
逃げんとすれど立ち得ぬは羽抜鳥の報いか。
善知鳥は却って鷹となり
我は雉とぞなりたりける。
遁れ交野の狩場の吹雪に、空も恐ろし地を走る。
大鷹に責められて、あら心うとうやすかた。
安き隙なき身の苦しみを。
済けて賜べや御僧。
済けて賜べや御僧、と言ふかと思へば失せにけり 。」